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経済安全保障推進法はなぜ「国のリスク肩代わり」に踏み込んだか — 2022年からの4年間

2022年制定の経済安全保障推進法が2026年6月、国がリスクを肩代わりする海外事業支援や医療分野の基幹インフラ指定を盛り込み改正された。制度拡張の経緯を時系列で読み解く。

山口 賢一郎編集長 / 企業・産業担当

背景

出発点となった状況

2022年5月、日本は「経済安全保障推進法」を制定した。米中対立の先鋭化と新型コロナ禍で露呈したサプライチェーンの脆弱性を受け、経済活動の中に安全保障上のリスクをどう組み込むかという課題への、日本としての最初の体系的な回答だった。同法は制定当初から①重要物資の安定的な供給の確保(サプライチェーン強靭化)②基幹インフラ役務の安定的な提供の確保③先端的な重要技術の開発支援(官民技術協力)④特許出願の非公開、という4本柱で構成されていた [1]。

構造的な前提

4つの制度は段階的に施行された。重要物資の供給確保と技術開発支援に関する制度は2022年8月1日、基幹インフラの安全性確保に関する制度は2023年11月17日、特許出願の非公開制度は2024年5月1日にそれぞれ施行された [1]。特に基幹インフラ制度は、電気・ガス・金融・通信・鉄道など14業種の事業者を「特定社会基盤事業者」に指定し、重要設備の導入・維持管理を国が事前審査する仕組みであり、対象業種の追加・拡張が今後の焦点になることが制定時から想定されていた [2]。

制度設計の根底には、経済活動への過度な国家介入を避けつつ、安全保障上の実効性をどう確保するかという緊張関係があった。参議院の立法調査室は制定当時、規制の対象範囲や事業者の負担を必要最小限にとどめる制度設計になっているかどうかを、今後の運用における重要な検証ポイントとして指摘していた [3]。この緊張関係は、2026年の改正に至るまで一貫して議論の底流をなしている。

基幹インフラ制度が当初対象としたのは、電気・ガス・石油・水道・鉄道・貨物自動車運送・外航貨物・航空・空港・電気通信・放送・郵便・金融・クレジットカードという14業種である。いずれも一つの事業者の機能停止が社会全体に連鎖的な影響を及ぼしうる分野であり、医療はこの原型リストには含まれていなかった。医療分野の追加は、制度創設から3年以上を経て初めて対象業種そのものが拡張される事例となる。

2022年〜2023年: 第1局面

2022年8月の施行開始とともに、政府はまずサプライチェーン強靭化の対象となる「特定重要物資」の指定作業に着手した。半導体、蓄電池、レアアース、医薬品原薬など、有事に供給が絶たれれば国民生活・経済活動に深刻な影響が及ぶ物資を順次指定し、国内生産能力の確保や供給元の多元化に向けた財政支援を開始した。中国がにぎるレアアースの命綱 で扱ったような特定国への依存構造は、この制度が想定する典型的なリスクシナリオであり、供給元の多元化はサプライチーン強靭化制度の中心的な政策課題であり続けている。

同時に、先端的な重要技術の開発支援では、AI・量子・海洋・宇宙などの分野を対象とする官民協議会(通称Kプログラム)が始動し、研究段階から情報保全を前提とした官民連携の枠組みが構築されていった。2023年11月には基幹インフラ制度が施行され、対象14業種の事業者は重要設備の導入前に国への届出が義務付けられる体制に移行した [2]。制度開始当初、対象事業者からは審査期間の長さや届出書類の煩雑さに対する懸念も示されたが、政府は運用開始後にガイドラインの明確化を重ねることで実務上の予見可能性を高めてきた。

2024年〜2025年: 第2局面

制度の定着が進む一方で、新たな脆弱性への認識も広がった。国内の医療機関を標的とするサイバー攻撃は制度施行後も相次いだ。電子カルテを含む総合情報システムが機能停止に追い込まれた事例や、患者の個人情報が大規模に流出した事例が各地で報告され、日本のランサムウェア被害急増 が指摘するような脅威の拡大と歩調を合わせる形で、医療という基幹インフラ制度の対象外だった分野の脆弱性が意識されるようになった。医療情報システムは電力・通信網と異なり事業者数が多く分散しているため、どの範囲を「基幹インフラ」として括るかという制度設計上の技術的な難しさも、検討が長期化した一因とされる。

こうした状況を受け、2025年9月19日の社会保障審議会医療部会では、基幹インフラ制度に医療分野を追加する具体案が示された。厚生労働省は大学病院などの特定機能病院を念頭に、施行時にまず各地方で最低1病院を指定し、施行後3年目までに都道府県ごとに1病院以上へと段階的に拡大する方針を提示している [4]。指定された病院は、サーバーやシステムの導入に際してベンダー情報の届出や、物理的・論理的なアクセス制限などのリスク管理措置を求められることになる。同年12月4日には内閣官房の有識者会議で、医療分野を基幹インフラに追加する際の制度設計上の論点が整理された [5]。

2026年: 第3局面

2026年3月19日、政府は経済安全保障推進法とJBIC(国際協力銀行)法の改正案を閣議決定した。第221回国会に提出された同改正案は、法制定以来初めての実質的な改正となった。日本語で「Act on the Promotion of Ensuring National Security through Integrated Implementation of Economic Measures」と英訳される原法の枠組み自体は維持しつつ、新たな政策手段を書き加える増築型の改正である点が特徴だ [7]。英字メディアも、この改正がサービス分野への支援拡大、医療分野の基幹インフラへの追加、JBICによる海外プロジェクト向け資金供給の拡大という3つの柱で構成されると報じている [6]。改正法の狙いは、同志国との重要物資サプライチェーン構築を後押しするため、採算性の低い新興国事業であっても国がリスクを一部肩代わりする仕組みを新設することにある。具体的には、ASEAN地域における半導体・造船・ドローン製造などの事業について、損失が生じた場合は国が優先的に引き受け、利益が出た場合は民間投資家が優先的に配分を受けるという、官民のリスク・リターン非対称性を意図的に設計した支援スキームが導入される [3]。同時にJBIC法改正により、劣後出資という形で海外の港湾・データセンターといった戦略的重要プロジェクトへの資金供給を可能にする枠組みも設けられた。改正法にはこのほか、重要技術開発を支える研究基金の拡充と、経済安全保障に関する調査研究を担う新たなシンクタンクの設置も盛り込まれている。

改正の背景には、海外M&Aに立ちはだかる経済安全保障の壁 で論じられてきたような、日本企業の海外展開が経済安全保障上の審査によって慎重にならざるを得ない場面が増えている現実もある。今回の改正は、規制による抑制だけでなく、財政的な後押しによって海外展開を促進するという、これまでとは逆方向のベクトルを政策手段に加えた点で質的な転換といえる。

改正案の国会審議では、リスク肩代わりスキームの対象事業をどう選定するかという運用上の透明性が焦点の一つとなった。政府側は、対象事業の選定にあたって外部有識者を交えた審査委員会を設置し、事業の戦略的重要性と採算性の両面を評価した上で決定する方針を説明している。もっとも、審査基準の具体的な運用細則は改正法の成立時点では未確定な部分が残っており、実際の案件組成を通じて基準が明確化されていく段階にある。

直近の動き

改正法をめぐる国会審議は2026年5月13日の衆議院内閣委員会での質疑を経て、6月に参議院本会議で可決・成立した。医療分野を基幹インフラに追加する規定は6月17日付で公布されている [3]。今後は、対象となる特定機能病院の具体的な指定作業と、サイバー攻撃を想定したリスク管理措置(重要設備のベンダー情報届出、物理的・論理的アクセス制限など)の運用細則の整備が並行して進められる見通しだ。JBIC法改正に基づく劣後出資の第1号案件がどの国・どの分野で組成されるかも、改正法の実効性を測る早期の指標になる。

医療現場からは、指定対象となる特定機能病院の負担増を懸念する声も出ている。基幹インフラ事業者に指定されると、重要設備のベンダー選定や更新のたびに国への届出義務が発生し、平時の運用コストが増加する可能性があるためだ。厚生労働省は、指定対象を段階的に拡大する方針を取ることで、医療現場の実務対応能力とのバランスを図る考えを示している [4]。

今後の展望

4年間の制度拡張を振り返ると、経済安全保障推進法は「国内の供給確保」から出発し、「国内インフラの防御範囲拡大」を経て、今回の改正で「海外事業への財政的関与」という新たな段階に入ったことが分かる。この流れは、経済安全保障政策が守りの発想(サプライチェーン強靭化・インフラ防御)から、攻めの発想(同志国との海外プロジェクト形成における主導権確保)へと軸足を移しつつあることを示している。一方で、国がリスクを肩代わりする仕組みは財政負担の透明性確保という課題も伴う。損失発生時の国庫負担がどの程度の規模に達し得るか、会計検査院などによる事後検証の枠組みがどう設計されるかは、今後の制度運用における重要な論点として残る。

国際的に見ても、同志国との重要インフラ・サプライチェーン構築を財政支援によって後押しする動きは、日本に限った現象ではない。英字メディアの報道でも、今回の改正が日本企業による海外の港湾・データセンター開発への関与を国家戦略として位置づけ直す転換点になり得ると指摘されている [6]。同志国間でのインフラ投資協調が今後どこまで制度化されるかは、日本単独の政策動向にとどまらない、より広い経済安全保障の枠組み形成にも影響し得る論点である。

Newscoda の見方

本サイトとして注目するのは、経済安全保障推進法の改正が「規制強化」ではなく「財政支援の拡大」という形を取った点だ。基幹インフラの対象拡大は従来型の規制強化の延長線上にあるが、JBICの劣後出資や国のリスク肩代わりスキームは、民間企業の新興国投資を国家が積極的に後押しする産業政策的な性格が強い。

多くの解説は基幹インフラへの医療分野追加という国内規制面に焦点を当てがちだが、Newscodaとしては、ASEAN地域での半導体・造船・ドローン事業に対する損失肩代わりスキームが、日本企業の新興国投資判断そのものを変え得る点を重視する。採算性だけでは投資判断が難しかった案件が、国の後ろ盾によって動き出す可能性があるためだ。

今後6〜12か月で観察すべき変数:

  • JBIC法改正に基づく劣後出資の第1号案件の組成状況
  • 医療分野の基幹インフラ指定第1号となる特定機能病院の公表
  • 経済安全保障シンクタンクの具体的な組織設計と初年度の調査テーマ
  • 損失肩代わりスキームの財政負担規模に関する予算計上の推移
  • リスク肩代わり対象事業を審査する外部有識者委員会の人選と初回の審査結果

まとめ

経済安全保障推進法は、2022年の制定時から4本柱で構成される制度として出発し、2023年から2024年にかけて段階的に施行された。2025年には医療機関へのサイバー攻撃の頻発を背景に基幹インフラへの医療分野追加が検討され、2026年6月の改正でその追加が実現するとともに、国がリスクを肩代わりする海外事業支援やJBICの劣後出資制度という新たな政策手段が加わった。4年間の制度拡張は、経済安全保障政策が国内防御から海外での主導権確保へと軸足を広げていく過程を映し出している。制度の実効性は、今後の個別案件の組成状況と、財政負担の透明性がどこまで確保されるかという運用面で試されることになる。

Sources

  1. [1]経済安全保障推進法(内閣府)
  2. [2]基幹インフラ役務の安定的な提供の確保に関する制度(内閣府)
  3. [3]経済安全保障の更なる推進に向けた法改正-経済安全保障推進法及びJBIC法の一部改正案-(参議院常任委員会調査室・特別調査室)
  4. [4]基幹インフラ制度への医療分野の追加について(第118回社会保障審議会医療部会資料、厚生労働省)
  5. [5]基幹インフラ制度への医療分野追加に係る論点(経済安全保障法制に関する有識者会議、内閣官房)
  6. [6]Japan to revise economic security law to support projects abroad — The Japan Times
  7. [7]Act on the Promotion of Ensuring National Security through Integrated Implementation of Economic Measures — Japanese Law Translation

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